日本勤労者山岳連盟30周年記念 |
天山山脈トレッキング・ハイキング |
(Eコース 天山ハイキングとイシククリ湖) |
(ハバロフスク〜アルマアタ〜カルカラキャンプ〜アルマアタ〜ハバロフスク) |
前 日 8月 9日
1日目 8月10日
1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7日目 |
8日目 | 9日目 | 10日目 | 全行程 | あれこれ |
新潟空港集合が8:00なので、前日に新潟まで行くことにした。 多治見8:18発ー名古屋8:58着〜9:21―東京11:16着。 乗り換えて上野駅へ12:08発ー新潟駅13:58着。約5時間40分の行程。 大荷物を背負って明日からの体力作りのつもりで、 タクシーに乗らず歩くことにした。 「万代荘:建設省の宿泊所」・・・駅から歩いて10分。 たったこれだけで疲れ果ててしまい、 ロビーでビールを飲んで暑さをしのぐことにした。 チェックインが15:00からなのでそれまでロシア語の勉強をしたり、 送られてきたプリントを読んだりして楽しく待っていた。 夕食の前にお風呂に入ろうとしたら壊れているそうなので、 一つの大荷物を機内持ち込み用と預け用の大荷物に分け、再パッキングした。 食事後、町ではちょうどお祭りの花火大会があるというので、 日ごろ人ごみを嫌い、花火を見たことはこの何年来ないのに 旅先での時間を有効に使おうと花火見物に出かけることにした。 店の人・歩いている人などに尋ね尋ね、万代橋方向へ歩いて行った。 人の流れができ始め、後は付いて行くばかり。 「ドン」と音もし始め、こちらで間違いのないことを確信し、どんどん歩いて行った。 歩道橋を上がると、これはこれは!「一等席!」 「立ち止まらないでください」という交通整理のおまわりさんも、 見て見ぬふりをしてくれるので、交通の邪魔にならない端の方で見物。 しかし、黙ってばかりでは職務が果たせないらしく 「立ち止まらないでください」と言われたので、少し歩いて移動し、また見物。 う〜ん、久しぶり〜 なかなか綺麗なもんだと感心! 今度は職務に忠実な新顔のおまわりさんに注意されたので、 仕方なく歩道橋を下りた。 宿へ帰る途中で空港行きのバスの時刻表を見ると、8:30までない。 やっぱリタクシーを頼むことにして帰り、風呂へ入って就寝。
6:00起床。朝食なしでロビーへ。 7:12、予約したタクシーに乗って空港へ。 小さな空港である。 新潟空港 小さい しかし、清潔で敏速ということが帰ってきてしみじみと思った これから搭乗 台風のため風が強い イーストツアーの赤い札を付けた人達が座っていた。 皆、ザックなので多分仲間だろうと思った。 朝食はまだ始まらないので椅子に座って待っていた。 だんだん人が集まってきて、「Eコース荷物を並べて〜」だの 名札を貰ったり、リーダーの安藤さんと挨拶したりした。 まだミーティングには時間があるので、2階の喫茶室でモーニングを注文した。 窓ガラスの外には、アエロフロートが何機か待機していた。 リーダーが呼びに来てくれたので急いで集合場所へ行った。 書類の説明を聞き、所持金をいくら持っているか、数字と英語で書いて、 荷物数を「3」と書き署名をしてOK。 パスポートを貰い、搭乗券を貰い、荷物検査を丁寧にされ、 身体検査をされて9:40、やっと搭乗。 飛行機の中はガソリン臭?か、排気臭か?くさいのには閉口する。 ハンカチで鼻を押さえていた。 席は28F。翼の上。右側窓の傍。 キャサウェイに比べると、お世辞にもきれいとは言いがたい機内だった。 9:57発。約10分で水平飛行に移った。 ふあ〜っと昇り、気分が悪くなることはなかった。 スチューワデスの説明は、ロシア語と日本語。 時速950km、高度1万メートル、ハバロフスクまで約2時間・・・とのこと。 台風のせいか風が強くやや揺れも多かった。 初め、暑かった機内も涼しくなり、10:17には青空の世界へと入った。 下は白い雲。
11:00に朝食が出た ↓ 小パン2個△ ソフトサラミ△ デザート△ ゼリー△ ハム× レタス△ 生サケ△ 唐揚げ▲ ジュース▲ ソーセージ○ マーガリン▲ トマト△ 万代太鼓(新潟銘菓)□ (○=美味しい △=食べたがおいしくない ▲半分残した □=食べ切れない) ×=まずい) もうすぐ着陸 広々とした耕作された大地 着陸態勢に移ると、広々とした耕作地、くねくねと曲がって流れる河が窓から見えた。 11:45着(現地時間、13:45)。 小さな空港で日本人ツアーの客だけで満員。 人の間を押し分けるようにして歩くのがやっと。 ザックを取りにいくのも3人ずつくらい順番に通路を通って取りにいくはめ。 外国人向けの空港 |
ザックが出てくるのを待つ間に、少年が近寄ってきて 小さなバッジを差し出し「プレゼント」と言う。 「えっ??」と一瞬思ったが受け取ってしまった。 さあ、そうなるとお返しをしなければ・・・と思い、 あれこれ探すが適当なものがなく、 新潟で貰ったばかりの労山バッジを渡してしまった。 ハバロフスク空港前 |
||
落ち着いてよく考えれば彼らはていのいい物貰い。 あちこちで「プレゼント」だの「チェンジ」だのを連発して交換している。 後でホテルの売店で見つけた彼らに貰ったバッジは 日本円にしたら1円ぐらいのものだった。 友人によると、空港事務官らしい人に 厳しく追い払われていたと言うが、彼がいなくなるとまた群がってくるそうだ。 私ばかり狙って声をかけてくるので閉口する。 |
やっとザックが運び出され、それをトラックに積み込んだ。 Dコース・Eコース共にバスでインツーリストホテルへ向かう。 通訳はパシャ。日本語が達者でちょっと乗りすぎの感じがする公務員。 ハバロフスクの町は、大きな木立がずーっと左右に続き、 薄汚れた建物が並んでいる。 個人住宅は見かけず、大きな建物ばかり(それも年代物)。 インツーリストのバスでホテルへ向かう Dコース28人 Eコース14人で |
|||
ホテルはゴキブリホイホイホテル(パシャの言葉)ではなく 10階建ての外国人向けのホテル。 ハバロフスク インツーリスト・ホテルで フロントのロビーでまたまた待ち時間。 コンピューターが入っていないので 手続きに時間がかかるのだろうとのこと。
照明はつけないので暗い。明かり取りの窓からの明るさだけ。 かろうじて文字が判別できるくらい。 外貨で支払う売店(ほんの小さなスペース)を見ても 品物はチープなプラスチックの髪留めのようなものばかり。 やっと手続き完了。 部屋割りの後、カードキーを貰う。 このカードは外出した時に、カギと引き換えたり、 食事の時の証明になったり、警備員への身分証明となったりする 大切なカードとのこと。 エレベーターは行き先のボタンを押すのは日本と同じだが、「閉」がないので、 閉まるのをじっと待っている。 エレベーターを出ると、椅子がぐるりと置いてあり、 テレビ・鍵おばさんの机があるフロアーだった。 まどからアムール川が見えた。遊覧船・貨物船も見えた。 |
ザックが手元に来たのは17:00前。 部屋においてからフロアーでミーティング。 17:00〜18:00。 ザックが遅くなった理由は、 飛行機が着いたら運ぶのではなく、 1日2便分が着くのを待ってまとめて運び込んだから・・・ だそうである。気の長い話。 1分単位で時間は動かず、30分、1時間単位で動くようである。 ホテルの部屋から眺めたアムール川 泥色できれいとは言いがたい ここで水泳もするとか ホテルの非常口から眺めたアムール川 |
イーストコーポレーションの添乗員の野口さん (後で野口さんの息子さんと判明)。 ソ連へ5〜6回来たことがあり、アルバイトとして今回一緒に来ることになったそうだ。 彼が言うには、 「両替はホテルではしていない。 30分くらい歩いた所にあります。僕がまとめて両替してきましたので替えます。 1000円で40ルーブル。 結構使い出がありますよ」と説明。 2000円分替えてもらった。 リーダー、安藤さん。副リーダー、馬場さん。 A班、B班に分かれ、我々はB班。 B班のリーダーは馬場さん。 医療・写真・記録・レク・事務局などの分担を決めた。 |
『この旅行は労山30周年記念の行事であり、国際交流の1つである。 ソ連は、個人で気ままに旅行できない国で、当局の監視下で行動する。 副次的サービスをあまり期待してはいけない。 日本は副次的サービスが異様に発達した国である』 ・・・と懇々とお説教があった。 非常口から見た公園(多分)の噴水 水は抜いた状態で時々出ている |
食事まであと1時間。 シャワーを浴びることにして友人を先にする。 彼女が終わって次に入るともうお湯が出ない。 聞くと「ぬるいお湯が出たよ・・・」と。 結局それで今日の分は終了になったらしい。 水でざっと汗を流してから出る。
シャワールームには、バスタブはなく、カーテンとレンガの床のみ。 シャワー口は高い所に固定してあって動かない。 石鹸は青色の3×4cm大が2個。泡立ちはよい。 コップは1個口が欠けている。 タオルも洗いざらしで色とりどりの寄せ集め トイレットペーパーはざらざらした厚手のロール。
食事は19:00〜。 ミネラルウオーターの瓶は、テーブルに置いてあるだけ全部、 ウエイトレス(国家公務員?)が栓を抜いてしまう。 下痢の話を聞いていたので怖くて飲まないことにする。 シャンペンをこっそり頼む。ホテルだから手に入るとか。 水差しの瓶の底を見ると沈殿物。 そこで「プリーズ、ホットウオーター」と頼むと、 ワゴン車の上へ置いてという身振り。 ワゴン車の上に乗せておくと、お湯を入れて またもとの場所においてくれるが愛想はない。 ズラリと大小さまざまな水筒やテルモスが置かれているのは壮観である。
空模様がおかしいので傘を持って出かける。 アムール川の川岸まで行ってみる。広い!! 向こう岸は見えるけれど湾のような具合。 こんな泥水で水泳なんてとても考えられない・・・。 川岸はどうも運動公園らしい。 運動をしているレリーフが門にはめ込まれているし、体育館もある。 車道と同じくらいの幅で歩道があり、 大きな木が植わっていて並木道になっている。 植えっぱなしでどんどん大きくなって 剪定なんて一度もしたことのないような大木ばかり。 雨が降ってきたのでホテルへ戻る。21:00、まだ明るい。 民族舞踊のオプションが23:00からあるとかで それまで一眠りのつもりが、とうとう起きれず寝入ってしまった。 |